東日本大震災からもうすぐ10年か。

2011年。3月11日に起こった東日本大震災、来年2021年にはもう10年になるのかと考えるとときが流れるのはとても早いです。僕は東日本大震災のときにはまだベトナムに移住はしていなく、東京の零細ベンチャーで働いていました。場所は新宿。当時は新卒2年目でやっと仕事を覚えて来たころでした。ランチを食べて眠気と戦っている時に突然オフィスが揺れました。最初はまあまあデカイ地震だなくらいにしか思っていませんでしたが、だんだんと揺れが大きくなってくると「これは、ただ事じゃない」と思いました。オフィス全体が大きな音を立てて揺れてロッカーや本棚が倒れそうになっていたのを周囲の社員が抑えたり、インテリア用の水槽に入った水がこぼれるのを抑えようとしている社員がいました。僕は水槽の横だったので水槽を抑えていました。さらに揺れが強くなりオフィスの誰かが「みんな、周りの物はどうでもいいから机の下に入れ!」と叫びました。何がなんだかわからない混乱する頭のまま机の下に潜り込みました。床に体をくっつけるとより、その時どれだけ強い振動が発生しているのかを再認識でき恐怖をいだきました。(これ、絶対に関東大震災だ。もしかして、このビル崩れるんじゃないか・・・)そう思ってしまうほど強い揺れと音。ビルの鉄骨とコンクリートが軋む音なのか、ものすごい轟音が轟いていました。その間は非常に長く感じました。あとから知ったのですが、ビルは倒壊を防ぐためにあえて揺れやすい構造を備えているんだそうです。オフィス内は停電して非常用の電源だけでした。完全に噂されていた関東大震災が発生したと思っていた僕たちは揺れが収まったあと、建物の外へ逃げました。その間も震度4,5くらいの余震が続き、地震の大きさを思い知らされました。近くの小学校の校庭へ行くと周りから避難していてる人数百人がいました。当時はスマホとガラケーが半々くらいでガラケーはワンセグ機能でTVニュースを見れたので誰かのワンセグでTVを見ていて衝撃を受けました。「震源地は東北」。こんな大きな揺れが東京に来たのに震源地は東京じゃなくて、東北なのか。その場にいたみんな信じられないといった表情をしていたのを今にも思い出します。そしてその場でその日は自宅に帰宅しても良いという判断が出ました。しかし電車なんて動いていないので、みんな徒歩で帰宅するか、それとも会社にとどまるのか判断しました。当時僕は池袋に住んでいて、新宿からは歩けば1時間くらいの場所だったので歩いて帰りました。新宿から池袋までは明治通りを通って一本でいけますが、その道すがらは人の海。みな、電車もタクシーも乗れずに3月の寒空の下を歩いていました。普通は歩けば1時間くらいなのですが、人が多すぎて歩道が混み合いとても長い時間をかけて歩いたと思います。途中、家電量販店(池袋のLABI総本店)を通った時に地震の揺れよりも激しい衝撃が走りました。津波の映像です。東北に到達した津波が街を飲み込んでいく映像が流れているのです。震源が東北であったという話と同じくらい目の前の映像が信じられませんでした。これは本当の映像なのか?しかし、まずは自分自身なんとか家に帰るしかありません。家に帰ると思ったよりも部屋は整っていました。ビルの上よりも地上3階でしかも30年前に立てられた耐震構造(先程話したあえて揺らす構造)がないマンションだったからかもしれません。お風呂のシャンプーのボトルが落ちてたくらいです。たしか3月11日は金曜日だったのですが、その晩はあんまり寝れなかったです。翌日土曜日は会社は休みなので一日中テレビで現状を把握していました。地震の規模の大きさや被害。そして福島原発の事故。これは夢なんじゃないか?と思う事がいくつもいくつも重なって、この時に僕の人生観や価値観は大きく変わりました。「いつ、今の平穏が崩れるかはわからないし、最終的に自分を助けられるのは自分でしかないんだ」という考え方は今でもあります。ベトナム移住を決断してこちらで結婚して家を買ったりしたのですが、その決断も今思えば、東日本大震災の経験が影響しているかもしれません。それくらい衝撃的な事件でした。

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